映画 「電車男」
インターネット上の電車男が映画になった。「電車男」という名前が森高千里の歌っていた「ハエ男」と頭の中でリンクし、映画館になかなか足が向かなかった。この映画がかなり好評で上映日程も延長になったと言うニュースを知り、またその中で「純粋な愛のお話」というような事があり、行って見た。映画館は私一人の貸切だった。
オタクの初めての恋を会ったこともないNET上の人たちからの応援で実らせていくのだが、非常にいい映画だった。パソコン・ネット・オタクというと人間性が欠如する事が必然と思っていたが、とても人間味あふれる展開で、バーチャルな世界ではあるけれど人間の良心を中心に描かれている。
女性は美人過ぎるし、ストーリーに無理があるが、それは当然映画だし、最近には珍しく「もう一度見たい映画」になった。
余談だが、その後は人生2回目の献血(400cc)をして会社に戻った。(え?仕事中?)
ごめんね・・・その3
実はこれが本題だったりする。我が家の娘は謝らない。とにかく「ごめんね」が言えない。もうすぐ4歳になる。小学校にあがる前の子どもはとにかく親から「ごめんねは?」と促されると条件反射的に「ごめんなさい」というものであろう。それにしても我が家の娘は謝らない。
娘には話せない言葉はない。「おはようございます」「こんにちは」などは初対面の人、すれ違うだけの人にも率先して挨拶をする。空想の物語も語るし、「えー、そんなー」などと女子高生のようにもなる。とにかく話せない言葉はない。なのに、「ごめんね」の一言は言わない。相当な頑固者だ。
明確に悪いのに謝らないのは保身である。非を認めたくないのである。それって高等な心情じゃないのだろうか。4歳弱の少女にそんなに高いプライドがあるのだろうか。
この現象を非常にマズイというふうに考えることもできるだろう。
私は気高いというか誇り高いと言うか人間の尊厳と言うか、とにかくかっこいいと思っている。
将来が楽しみだ。
ごめんね・・・その2
私はほとんど会社にいないが、会社にいる時には社員の電話がとても気になる。声のトーン、音量、言葉づかいなど、なるべき気が付いたその時に注意するようにしている。
電話で自分や当社が悪いわけでもないのに謝っている社員がいると我慢ができない。電話口でお客様が怒っているととにかく「申し訳ございません」と言ってしまうのだ。自分も会社も悪くないのに謝ってしまう・・・日本人だと言われればそれまでだが、謝るという事は非を認めることであり、何らかの賠償に発展する可能性もある。当方が悪い場合は「何がどう悪かったのか」という根拠を示して謝らなければならない。
ビジネスでは安易に謝ってはいけない。
ごめんね・・・その1
私の両親は夫婦喧嘩をしてもお互いに謝らない。二人とも公務員で2人ともそれなりのプライドがあり、2人ともあやまらない。社会的地位が一定に高いとプライドがあるだろうし、保身のために謝らない(謝れない)のだと思う。喧嘩する2人が互いにあやまらないと言うのは喧嘩の長期化を意味する。
私はこんな両親を反面教師に、「結婚したら、とにかく謝ろう」と決意していた。
実態は妻はもちろん、子どもにまで毎日1度は謝っている・・・ような気がする。