子どもの喧嘩(けんか)
小さいときの喧嘩というのは非常に大切だ。兄弟げんかも大切だし、よその子どもとの喧嘩も大切だ。少しくらい血が出るくらいのけんかを親の監視下でやらせるべきだ。
今時の親はすぐにとめにはいる。とりわけよその子との接触はすぐに止める。「よその子に怪我をさせては・・・」という意識が働くからだ。これは子どもの将来にとって危険な事である。兄弟がいればまだ救われる。兄弟げんかができるからだ。兄弟げんかなら親もある程度は見守る。しかし、時代は少子化時代。一人っ子は喧嘩ができない。しかもわがまま放題(そうじゃない人、ごめんなさい)。
こうすれば自分が痛い。このくらい痛い。相手はどのくらいのダメージを食らうのか・・・こういう事は経験でしか得られない。この経験を20歳以上で行うと犯罪として新聞にも名前が出る。経験するなら3歳から小学校低学年までに、一連の喧嘩をやっておきたい。小学校中学年からは話し合いによる解決を学びだすからだ。
はっきり言って、喧嘩を止めないのは親としてはつらい。私はすぐに止めたくなるほうだ。自分の子が怪我をするかもしれないし、よその子が怪我をするかもしれない。止めるほうが簡単だ。そこをグッとこらえるのが親に必要な素養なのだ。
目は気をつけなければならない。ダメージが生涯におよぶ可能性がある。それ以外は髪を引っ張ろうが、ひっかこうが、パンチしようがたかが知れている。おおいに喧嘩させよう。
もしも相手に「訴えてやる」って言われたら受けて立ちましょう。裁判所は相手にしないでしょう。また、このブログを印刷して裁判長に提出すると良い。私は証言台に立ちますよ。
ちょっと視点を変えますが、暴力は子どものものであり、大人は話し合いで解決します。国連憲章や日本国憲法も「武力ではなく、話し合いでの解決」をうたっています。たくさんの殺し合いの末に人類が達した最先端の水準です。
アメリカは国連無視で武力行使するし、日本は無条件にアメリカに従うし、憲法を変えて、軍隊を自由に海外派遣できるようにしようとしているし・・・。
子どもと一緒というか暴力団と一緒というか・・・なさけない・・・・・。
貧乏人の定義
実は私には革命の夢がある。資本主義という動物的な競争社会に終止符を打って、人間が人間として真に平等で尊重される社会への移行だ。そのためには少数の大金持ちを大多数の貧乏人で打ち倒す必要がある。打ち倒すとか革命とか言うと怖いイメージかもしれないが、私の言うたたかいでは血は流れないし暴力はない。つまり、選挙による革命なのだ。企業献金を受け取る政党から受け取らない政党に権力が移行すればそれは現日本では革命といえる。
大切な事は国民の認識である。
① 資本主義社会は資本家(生産手段を持つ者)と労働者(身体が資本(笑)の者)という2つの階級でできているという認識。
② 自分自身の階級が何であるかという認識
③ 自分が貧乏である事の認識
ここで大切になるのが貧乏人の定義である。実はこの2年くらい「貧乏人の定義」を考えてきた。しかし、これを定義するのはなかなか難しい。恥ずかしいが、当社の社員に「あなたは貧乏か?」と質問すれば100%「Yes」の返事が返ってくるだろう。ま、Noだったら減給するのだが(笑)
いろいろ、このブログを書きながらWEBで「平均年収」などを検索していたら、総務省の出している文章があった。下記文章が「平均である」と納得できない人は貧乏人である・・・そういう定義も一つありそうだ。
総務省がまとめた「2004年家計調査」によると、勤労者世帯の年収は平均で730万円、貯蓄は1273万円、負債は655万円であることが分かりました。負債のうち、住宅・土地のための負債は605万円で、負債全体の92.4%を占めています。
どうです? あなたは貧乏人?
みにくい資本主義
資本主義の社会って本当にみにくい。
・ 函館の西武がパチンコ屋になる
・ Yahooなどの広告でサラ金(アイフルなど)が多い
・ 同じく広告で人材派遣が多い
上記、最近「いやだなー」って思っていること。
会社にも金貸しから電話やFAXが入る。社内では私に取り次がない事になっている。
資本主義社会の未来は閉塞している。競争が絶対という社会は動物(けだもの)の社会であり人間の社会としてはふさわしくない。
大金持ちは必死にこの体制を守ろうとしている。貧乏人はしっかり貧乏人であることの自覚をし、勉強をし、この体制を変える努力をすべきだ。