「幸せ」について考えたⅠ
今日、ゆっくりと考え事をする時間が持てた。いろいろ考えていると、「幸せだなー」という気持ちになった。何を考えたら幸せな気持ちになったかというと、私の会社の社員の給料について、数ヵ月後に私以上の給料をもらう社員が3人になる予定となったことだ。自分の給料は法人化して以来変えていない。自分の給料を増やそうなんて考えられない。でも、自分の給料じゃなく、社員の給料なのに、それを増やすことができることに何とも言えない幸せを感じたのだ。
それからもう一つ。会社の利益が上がる展望が見えてきた。これにより、また雇用を増やすことができる。一人でも多くの意欲ある青年に職場を与えたい。職場を与えることは未来を与えることであり、希望を与えることだ。規制緩和などで大企業の横暴をやりたいほうだいにしている小泉純一郎への経団連へのささやかな挑戦だ。
解雇=リストラ=クビ というのは「死ね」に等しい。「○万人のリストラ計画を」なんていう企業は殺人企業だ。
脱線したが、私は自分の周りの人間が幸せになるためのお手伝いができたときに幸せを感じるんじゃないかなーって思った。確かに温泉に入ってるときや美味しいものを食べているときや家族で過ごしているときも小さな幸せは感じる。しかし、私の起こした事業によって、雇用がつくれたり給料を多くできたりする時の幸せな気持ちはさらに大きい気がする。
ちょっと期待しすぎだが私は子どもたちに時々次のように話している。
「世界中にはね、戦争でお父さんやお母さんが死んでしまったり、飲むためのお水が無かったり、食べるものが無かったり、着るものが無かったり・・・そんな人がたくさんいるんだよ。あなたにはね、世界中の人を幸せにする・・・そんな大人になって欲しいんだ」
4歳4ヶ月の娘は明確に「そんなことー、できないよー」と答えている。(笑)
夢ばかり見る父には似ず・・・良かった。
もしも「人を幸せにすることが私の幸せ」って考え、行動する人間が一人、また一人と増えていって、人口の3割も占めたなら、世界の多くの問題は解決するんだろうなーって考えた。
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