第5回 立待岬
インターネットの危険性
加藤 進
私自身はインターネットでご飯を食べている。携帯電話とインターネットの環境さえあれば、世界中どこにいても社長業がつとまる。しかし、インターネットの危険性は利便性を上回っていると私は考えている。ここにその危険性をまとめてみたい。第1の危険は、「パソコンに向かうときは一人である」と言うことだ。最近の調査によると、20歳から39歳までの若者の死因トップが自殺となっている。だから「一緒に死んでくれませんか」などという、もしも友だちが側にいれば「やめろよ」と言ってもらえることでも誰にも止めてもらえず、その世界に入り込んでしまう。ここ数年で、インターネットで見ず知らずの若者同士がどれほど自殺したことか。第2の危険は匿名性である。自分がどこの誰なのかを名乗らずに言いたい放題ができる。人間は現実社会では自分が嫌われないよう、また相手を傷つけないように高い水準のコミュニケーション能力を駆使して対話をする。しかし、この人間性とか気遣いとかがまったく取り払われた仮想世界の中では、人間ではない、動物の水準の対話がそこではされている。第3の危険は「氾濫する情報は真実とは限らない」ということだ。たとえば、病気について調べると、たいていは「死ぬこともある」などと暗い結論にたどり着いたりする。中でも怖いのは性に関する情報だ。誤った情報で間違えて命を作ってしまったり、怖い性病に感染したりが考えられる。年間で言うと、交通事故死1万人、自殺3万人、人工妊娠中絶40万人・・・これが日本の現実だ。
私は3点の危険性を述べたが、もっとも声を大にして言いたいのは子どもたちをこの危険から守るべきだということだ。子どもを仮想社会から守る方法はタバコや酒と同様に「与えない」ということしかないと私は考える。義務教育の間はパソコンを与えるべきじゃないし、携帯電話はインターネットに繋がらない設定にすべきだ。放置するとどんどん犠牲者が増加していくことになるだろう。(814文字)
(有限会社みのり 代表取締役)
同感。教育にパソコンは入り込ませず、子供の成長過程は可能な限りパソコンを遠ざけるべきと強く信じてます。インターネットを介すた犯罪の危険性もしかり、パソコンを使う、もしくは使ったトレーニングが教育になり得るかも深く疑問。教育的にも害を上回る利が見当たらないとおもう。