加藤進@永遠の旅行者
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『母べえ』

山田洋次監督にはまたやられてしまいました。
『母べえ』見てきました。とても深い内容でした。
戦争はそんなに昔のことじゃない。父が生まれたとき(昭和16年)は戦中でした。
日本人はもう戦争を忘れようとしている。
あの戦争を美化しようという国会議員が国会の多数を握っている。
戦争は絶対にダメだ。その気持ちをあらためて強くしました。
映画の場面、セリフをふと思い出すだけで、胸が詰まります。
『母べえ』、ぜひご覧ください。
http://www.kaabee.jp/

posted by かとうすすむ  日記  コメント (1)

コメント

  1. 加藤弘二 より:

    1941年、私が生まれて2週間後にいわゆる「真珠湾攻撃」で第2次世界大戦が始まった。1945年8月15日終戦。自分が3歳8ヶ月のときで・・・・、今なお戦時中や終戦の日の記憶がある。函館は港町であったので、満州や樺太からの引揚者が着の身、着のままで上陸してきた。現在の五稜郭病院のあるところに「ジケイイン」(大人になって漢字で当てはめると慈恵院かな?)と言う戦災孤児の施設があって、よく慰問団の催し物を近所のよしみで見に行った。入学は柏野小学校。小学1年生のクラスは70人学級、午前の部は低学年、午後の部は高学年で2部授業であった。楽しみは給食で、登校時におわんに野菜を刻んだものを家から持って行き、給食室の大きな鍋の中にあけた。給食のおばさんは、交代で母親たちであった。11時頃給食のにおいが学校中を染め、子どもらのおなかがガーガー鳴った。
     ジケイインの戦災孤児たちと机を並べて
    勉強した。蚤や虱がわんさといて、蚤や虱を爪でつぶしながら一緒に勉強した。2歳も3歳も年上の子が一緒であった。彼らは貧しかった。
     戦争は貧困。何もいいことは無い。憲法9条は「もう2度と戦争をやってはいけない」と言う教訓を文章にしたものと心得ている。「母べい」を今週中に見に行きたい。
     

加藤進(かとうすすむ)

加藤進

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