松岡農相の自殺について
様々な意味で衝撃的なニュースだった。
私は大学で教壇に立つときに学生に話す。「人生は長い。その長い人生の中で、自殺という選択肢を置いてはならない。どうやって生き抜くか・・・その中で選択していって欲しい」と。
閣僚に自殺されては、学生に示しがつかない。今日も彼の仲間が自殺したようだ。命で責任を取るという武士道のような文化は近代社会においては博物館送りにしてもらいたい。すべてを明らかにして、ごめんなさいって言えばいいのである。人間は間違う動物なのだ。
私は松岡農相を自殺に追いやったのは彼の所属する党の党首であり、彼を閣僚に任命し、さらに、あれだけの疑惑(と事実)がありながら、辞職させなかった安倍晋三首相にあると思う。安倍首相は党首として任命権者として責任を取る必要がある。死ぬ必要はない。今の地位を辞することかな。
浜中町の一次産業への就業率は56%、酪農と漁業の町です。松岡農林水産大臣の自殺は町民にとっては大衝撃のはず。しかし主だった動きは町内にはありません。農業行政でも水産行政でも農民や漁民にとって有難い人ではなかったようです。乳価は下がる一方、魚価は漁民を馬鹿にしたような浜値安で、漁に出ても燃料代にもなりません。食料の「輸入、輸入」で漁民の生活は成り立ちません。後継者は18年度は1人でした。これでは日本の食糧の自給率を保ち向上させることなど出来ません。
荒波を乗り越え、命がけの漁に出て漁師たちは働いています。その一方で談合にうつつを抜かし、利権アサリを未だ推進していたとは悲しいこと。一次産業の衰退は自民・公明政権と民主の「政治は税金(政党助成金)と企業団体献金で賄う」体質から来ていることが分かります。
腹心が自殺したのに、「行政は止められない」と言って、死者を放置したまま、引き続き次から次へと「悪法」製造する様は、安部総理の人間性そのもの。
「美しい国の道徳」を語るなら、身内の自殺に「衷心からの弔いと任命権者としての責任」をしめすことこそ国民は願っている。多分それが出来ないのは「靖国神社」を優先させ、憲法を改定し戦争の出来る国づくりに進むこと意外に考えていないからでしょう。
「書くことは信ずること」「話すことは希望を語ること」 人間、生きて(仕事をして)いくうえで大事なことは「失敗を語ること」、そこから教訓が必ず出てくるものだから、大いに語って、国民は頑張らなければならないでしょう。