4万件突破しました。
1ヶ月に届く迷惑メールの数。
俺、本当に、よっぽど嫌われてるな。
第4回 立待岬
どうなる? 若者の老後
加藤 進
おじいちゃんおばあちゃんのイメージは「お金持ち」である。道東に住んでいた私たち家族が函館の祖父母の家に行くととてもかわいがられ、年末年始にお年玉を3回もらった記憶がある。大晦日に、「明日、忘れたら困るから、はい、お年玉」。お正月に「はい。お年玉」。「昨日もらったよ」と言うと、「あれはもう昨年の話」。そして1月2日にも「いやー、忘れてた。はい、お年玉」。もちろんユーモアなのだが、あの温かい雰囲気が忘れられない。
お金持ちのお年寄りは幸せだ。何よりも誰の経済的な世話にもならず自立して生きていける。子や孫のためにお金を使うこともできるし、それによって頼られたり好かれたりもする。最終的には有料老人ホームに入って、高価なところであれば、身の回りのことは何でもしてくれる。
もちろん身を粉にして日本と地域の発展のために尽くしてきた高齢者のみなさんには当然の待遇だと私は考えるし、それでも足りないとすら思う。35年から40年以上も勤めあげ、年金や各種保険を払ってきたみなさんですから、それに見合った退職金を受け、月々の年金を受け取りながら生活するのは当然です。
少子高齢化社会と言われていますが、高齢者にお金があるうちはそれ自体がビジネスのターゲットにもなり、経済も活性化するでしょう。しかし、20年後にはどんな高齢者が誕生しているでしょうか。厚生労働省の調査によると労働者の3分の1は非正規雇用と言われ、その割合は年々増えています。非正規雇用の場合、社会保険や厚生年金はかからないことも多いですし、退職金ももちろん期待できない。国民年金も滞納せざるを得ない。
日本政府は国会を2度も延長し、今月15日、民意の審判を受けていない衆議院で「油を外国の艦船に無料で提供する法律」を再可決しました。こだわる場所を間違っているでしょう。道南に住むみなさん、そろそろ低投票率で政治を見守るのはやめませんか。
(本文 791文字)
(有限会社みのり 代表取締役)
第3回 立待岬
高校生暴行死と市民の責任 加藤進
8月1日のこの欄で、「人間を育てるのは人間である」として、日本中で起こっている少年の事件に関連して書かせていただいた。同じ月の26日、高校生が直接・間接の暴力によって命を落とすという衝撃的な事件が、函館市内の公園で起こった。
私はこの事件をニュースで知り、自分を含めた函館市民の責任を思った。函館という地域が、社会がそういう子を育て、土壌を作ってしまったのだと。
函館の子どもたちは明るい未来を展望できない。生活保護世帯が年間1万を超え、その予算は180億円にものぼる。高校を出ても道南地域に仕事は無く、過半数が道南以外へと就職していく。仕事に就いたところで、パート・アルバイト・契約・派遣・準社員などという非正規雇用が正規雇用を大きく上回り、「いつ仕事を失ってもおかしくない状態」での労働を余儀なくされている。このような経済的に不安定な状態は結婚や出産を人生の選択肢に加えることも許さない。自分たちの願いを政治に届けようという意識も北海道で一番低い。それは選挙の投票率から見てとれる。最高学府である教育大学や未来大学には学生自治会も無く、自らの未来や環境を自らの力で変えていくという方法も学ばせてもらえない。
世の中は強いものが弱いものを叩き、弱いものがさらに弱いものを叩くという構造がすっかり定着している。会社においてはセクハラ、パワハラ、リストラ、国内においては様々な格差のさらなる広がり、国際的には国連無視の武力行使。大人がつくってきた社会を子どもたちは情報として受け止め、未来に対して夢や希望を持つことも出来ないまま、同じような大人になろうとしている。
私は子どもに罪はないと思う。生まれてくる子どもは一人残らず幸せになろうと思って生まれてくる。不幸になろうとか、人を不幸にしようとか、そう思って生まれてくる子どもはいない。子どもには幸せになる権利があり、大人には子どもを幸せにする義務がある。そう、子どもを幸せにする義務が大人にはあると思う。
(本文823字)
(有限会社みのり 代表取締役)
第2回 立待岬
人間を育てるのは人間である 加藤進
日本中で過去には例を見なかった残虐な事件が、子どもによって起こされている。幼児を高いところから落とす、友人や教師をナイフで刺す、母親を殺害し、その首を切り落とす、赤ちゃんを殺し、押入れで生き返らせようとする。報道は氷山の一角で、このような事件は無数にあるものと思われる。法律を変え、罰則を強化・低年齢化する事では全く解決しない。なぜなら、相手は法律を理解できない年齢なのだ。
昔と今、何が変わっただろうか。私は子育てが変わったと思うのだ。親が子どもを育てていない。では、誰が子どもを育てているのか。それはテレビであり、ビデオであり、DVDであり、パソコンであり、テレビゲームであり、ハンディゲームであり、携帯電話ではないだろうか。それらのものさえ与えておけば、子育てに手はかからない。何時間でもおとなしくしている。
公園に行くと、ベンチに座って数名の小学生が会話もせずにひたすらゲーム機を操作している。児童館に行くと、子どもたちがパソコンに向かってゲームやインターネットをしている。函館市の児童館にはパソコンとインターネットの環境がある。公園や児童館って、そういう場所でしたっけ? と私は問いたい。
私は会社の採用試験で1年に約200名と面談をする。そのコミュニケーション能力が年々、確実に落ちている。IT関連機器に育てられた人たちがどんどん大人になってくる。函館も例外ではない。
オオカミに育てられた子どもがオオカミのように育った記録がある。IT関連機器・電子機器に育てられた子どももそのように育つのではないだろうか。
我が家では子どもにテレビも含めIT関連機器を一切与えていない。与えない子育ては大変だ。たくさんの手がとられ、工夫が必要だ。しかし、人間を育てるのに手抜きはできない。IT関連企業を経営する私が提唱します。IT関連機器を与えない子育てを日本中のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんにおすすめしたい。(本文807字)
(有限会社みのり 代表取締役)
第1回 立待岬
函館への想い 加藤進
1997年、ちょうど10年前に函館に来た。父方の祖父は函館の市場で商売をしていたし、父も西高から教育大函館校という経歴を持つので、函館とは縁があったのだ。函館に住み続けるきっかけは妻がくれた。函館の街が気に入ったというのだ。私は商売することを決意していたので、ま、30万都市は悪くないなと思って函館永住に同意した。事業名も函館永住の決意を冠にし「函館まねきネット」とした。
大学を卒業するときにはすでにバブルははじけていたし、人口減少やシャッターの下りる表通りのお店を見ても「自然の流れ」と割り切っていた。しかし、さびれていく函館の中で残念に思うのはギャンブルの空気である。過去、栄華を誇ったサイカデパート、西武デパート、それぞれパチンコ店となった。デパート跡に限らず、つぎつぎ新店オープンの様相である。函館市においては競輪である。子ども向けのアトラクションを組むなど、「家族そろって」という宣伝スタイルに唖然とする。私は3人の子どもの父親だが、ギャンブルには触れさせたくない。
私は函館の地形が好きだ。函館山、両側に広がる海、どんなにお金をかけても人間業でこの地形は作れまい。私は函館の人の純朴な心意気が好きだ。個人事業時代、お客様のところに訪問すると、お金以外に野菜や魚や昆布、缶コーヒーやお菓子など・・・手ぶらで返してくれないところがある。気前がいい。若い人たちの「函館に住み続けたい」という気持ちが好きだ。田舎ほど東京に出たがる。でも、道南の若者は道南を愛している。
先日、ハローワークでお話を伺う機会があった。渡島檜山管内で3月に就職できた高卒者が917名、そのうち管内に就職できたのは44%の407名だったそうだ。雇用の受け皿をもっともっと増やさないと、こんなにいい街でありながら、未来を担う青年がいなくなる。雇用をすすめるのは会社の経営者だ。私もその一人として、もっともっと努力したい。(本文797文字)
(有限会社みのり 代表取締役)