ごめんね・・・その1
私の両親は夫婦喧嘩をしてもお互いに謝らない。二人とも公務員で2人ともそれなりのプライドがあり、2人ともあやまらない。社会的地位が一定に高いとプライドがあるだろうし、保身のために謝らない(謝れない)のだと思う。喧嘩する2人が互いにあやまらないと言うのは喧嘩の長期化を意味する。
私はこんな両親を反面教師に、「結婚したら、とにかく謝ろう」と決意していた。
実態は妻はもちろん、子どもにまで毎日1度は謝っている・・・ような気がする。
定年退職後のやるべき事
高齢化社会である。就職難である。日本政府は定年を引き上げる事を推奨し、年金の受け取れる年齢を引き上げるなど、相変わらず国民いじめのアホな政策を打ち出している。
年金暮らしのできるお年よりは前にも書いたかもしれないが、働いてはいけません。若者の就くべき職を奪ってはならないのです。年金があるなら、それで生活(衣食住)をし、無収入の社会貢献をやって欲しいと思うのです。
加藤進が定年退職したお年寄りにやって欲しい事の例を以下に紹介します。
① 公園の監視(犬の糞を放置する飼い主がいないかを監視する)
② 朝、小学校・中学校・高校前での挨拶・・・ただ笑顔で「おはようございます」という
③ 夜回り・・・水谷修氏のように、行き場のない青年に寄りそう行動
④ 子育てサークルなどで子どもと遊んであげる
⑤ サラ金で大変になっている人の自己破産の手続きを無償で申請者とともに行う
⑥ 無認可保育園づくり
⑦ 戦争に反対する運動
⑧ 消費税増税に反対する運動
定年退職し、年金暮らしができるお年寄りにやって欲しい事の共通点は、子ども・青年など、日本の未来を託す人たちを直接支援するとともに、明るい未来のための運動・行動を起こす事です。
お年寄りにはうーんと働いてもらいたいと思っている。こんな日本にした責任があるからだ。
ただ、戦後一貫して・・・働きながらも上記のような活動をされてきているお年寄りの存在も承知しています。心から敬意を表します。
正当な批判を受ける快感
社長が社員に直接批判をされることはほとんどない。私の例で言うと、社員に批判をされるのは月に1回あればいい方だ。そこには複雑な力関係がある。おもに社員にとっては
・ クビになるかもしれない
・ 言っても変わらない
・ 返り討ち(批判返し)を喰らうのが怖い
などがあるだろう。
私は社員に対して「解雇はしない」と宣言をしている。しかし、なかなか批判はされない。これは悲しい事だ。社長が成長するには社長自らが自己を律していくのは当然だが、それ以上にやはり第3者からの目が重要だ。批判を受けることは成長への近道だと考えている。
社員から正当な批判を受けたとき、社長を正せる優秀な社員が当社にはいるんだという喜びがある。これは快感である。その批判が正当であれば、正す以外に道はない。批判を受け止めて正していく事も快感だ。
今日はT社員にそういう批判をされ、いい気分だった。
「個人情報保護」について
昨日、午前中にIT関連のセキュリティの展示会に行ってきた。指紋認証、声紋認証、顔認証、静脈認証など最新のテクノロジーを見てきた。体験もしてきた。テクノロジーはすごい。
男女差別
強烈なタイトルを書いてみたが内容は気が抜けると思う。最初に断っておきます。
私には2人の子どもがいます。女と男です。今日、息子が「あー、女の子かと思いました。ごめんなさいね」って言われたそうです。息子が女の子に間違われた場合、何だか許してしまいます。女の子みたいにかわいかったんだなって。
これが逆の場合って結構大変だねって夫婦で話しました。
娘に対して、「あ、男の子かと思いました」ってね。言われたらかなり「おまえの目はふしあなかー」ってな感じで怒り出しそうな気がします。とりあえず、いまのところ娘は間違われた事はないのだが。
で、結論としては、赤ちゃんをみたらとりあえず、「あー、かわいい女の子ですねー」と話しかけるのが無難です。女ならそれでよし。男なら、「えー、あんまりかわいいから女の子かと思ったー」と言えば済みます。きっと子供服売り場なんかでは、そういうマニュアルがあるんだろうなー。