【スタバのコーヒーは濃いよ】
7年前に石川町にスタバができたんだけど、その時から俺のオーダーは「ホットコーヒー、ショート、お湯割り」だ。
函館では俺しか居なかったらしい。で、毎日通うので、スタッフはみんな、「ホットコーヒー、ショート、お湯割りの人だ!」と覚えてくれている。
その中のとっても可愛いスタッフが東京の代官山のスタバに転勤になった。
数ヶ月後、俺は彼女に会いに行ったらこんな話をしてくれた。
「代官山の店舗には芸能人・有名人がたくさん訪れるのですが、その人たち、お湯割りでコーヒーをオーダーする人、多いんですよ。そのたびに加藤さんを思い出してました」って。
どういう事か、わかる?
庶民にとっては自分よりもスタバが偉いんだ。だから、スタバのコーヒーが絶対であって、それを濃いと感じる自分の味覚がおかしいのだと考えて、我慢して飲んで慣れようとするの。
加藤進や芸能人や有名人は、スタバより自分の方が偉いと思ってるの。スタバが自分の味覚に合わせるべきだって。だから、お湯で割れって言えるんだよね。
PS.どうして代官山に行った可愛いスタッフとタイミングよく会え、なおかつ、ゆっくりお話しできたのかの説明は、別の機会に譲ります
ボランティア社長
本当に有能な社長は、会社から報酬を貰わずに、つまり、生活の糧を得る場所ではなく、自分の能力を発揮する場所として、会社経営を楽しむのではないだろうか。
やりがいは売上高とか、社員数とか、社員に配った給料の額とか。
会社の経営を圧迫するのは人件費だ。社長の人件費がゼロなら、その分、経営に回せる。社員にも「社長なんか何にもしない癖に、一番給料高いんだぜ」などと文句も言われない。
そんな社長に、私はなりたい。
目標期限:今年中!
緊急事態宣言は延長・拡大される
今回出された緊急事態宣言は効果がない。
きっと5月6日では終わらないし、7都府県では収まらず、追加で指定されることになるだろう。
効果がないことは安倍政権が知っている。効果がないことを確認した上で、
1、ロックダウンが必要だ。
2、国民の権利を制限しないとならん。
3、憲法を変えよう。
っていう、別の方向(安倍総理の念願)に持っていくのが狙いだ。
以上、加藤進の予告。
行政の生活支援課
ホームレスの人を市役所が把握すると、生活支援課につながる。生活支援課の人は地方公務員であり、公平・公正であることが求められ、それでいて情の厚い人が多いように思う。
生活保護を受けるためには住所が不可欠だ。ホームレスはホームレス(住所がない)状態のまま、保護を受けることはできない。「役人」としては、「どこか、不動産屋さんに行ってアパートの契約をして、契約ができたら契約書を持って、また窓口に来なさい」って言うことになっている。
しかし、ホームレスが自分で不動産屋に相談し、契約をしてくるのはとても難しい。
印鑑がない、家族がいない、連帯保証人がいない、働いていない、大家さんや不動産屋による偏見。礼金と仲介料と前家賃を先に払わないと契約できない…など、ハードルしかない。
さらに役人は、その人がほんの僅かな所持金しかないことも知っている。数百円だったりもする。自分の親、またはそれ以上年上の時もある。そんな人を、「今日は手続きできないからね。またおいでね」と寒空の下に追い出すことになる。そんなこと、できるか? その人を「今夜だけだよ」って、自分の家に連れて帰るわけにもいくまい。公務員だからね。
そんな時、俺の経営するアトム不動産は力を発揮する。私企業だから、やりたい放題だ。そもそも加藤進方式=敷金・礼金・仲介料無料/保証人不要だ。生活保護予定の人は、賃貸借契約書の中で、「保護費が支給され次第、支払うこと」と書き、契約を先にしてあげる。所持金がない人には食べ物を支給する。当面の生活費を貸すこともある。引越し先のアパートのガスやストーブが間に合わない時は、カプセルホテル函館に宿泊させ、宿泊代はもってあげる。
情の厚い市の役人にもそのように対応することを報告する。彼らは安心して夜、寝られるだろう。
ま、そんな訳で、市の生活支援課の役人はアトム不動産の事が大好きである。でも、窓口でうちを口頭で紹介するわけにはいかない。きっと、テレパシーとかジェスチャーで伝えてるんだろうなぁ。
ご苦労、お察しします。
【憲法25条、生存権の会】
私が大好きな日本国憲法。その中でも大好きな条文が、第25条。
第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
この条項が根拠となって「生活保護」ってのがある。
でも、保護が必要な人たちに限って、憲法を知らないし、この条文を知らないし、役所に行くことが嫌いだし、人に助けてもらうことが苦手だったりする。
でも、コロナが保護を受けていない貧困層の生活を直撃している。
私には10年以上前からこうした弱者を救う組織をつくりたいという考えがあった。組織の名前は「憲法25条、道南生存権の会」だ。まず、函館からスタートして、日本中に「憲法25条、○○生存権の会」ができる構想だ。
「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる社会」が個人的には理想だ。