加藤進と宗教
加藤進の宗教に対する立場を書いてみる。
① 憲法の思想信条の自由に基づき、他人の信仰はこれを尊重する。
② 宗教は人類が作り出した文化として尊重する。
③ 加藤進は死ぬまで信仰を持たない。
私が世界でもっとも信じているのは自分自身である。自分の人生は自分で切り開くし、過ごしにくい社会や環境は自分自身で改革していく。信仰を持つという事は、運命・人生を目に見えない第3者に委ねることにつながり、どんな事象も受容するようになってしまう・・・その事をもっとも懸念する。その懸念は人一倍強い。神が存在するならば、私の存在意義はない。神がいないから、加藤進が頑張るのである。だから私は、神が目の前に現れて、奇跡を見せられても、それを認めるわけにはいかない。会っても信じないと決めているのだから、神様は絶対に私を避けていくだろう。
一般人には許容するが、私は大学生には観念論を認めない。観念論の特徴
① 自己紹介で血液型や星座を言う(占いを信じる)
② 初対面の人に血液型や星座を聞く(占いを信じる)
③ 数値で議論ができない。(思う、感じる、みたいな、など抽象的)
大学生には科学とその手法を学んでいただきたい。観念論の入る余地は無い。
資本主義社会は動物の社会だな
動物の社会にある法則は「弱肉強食」である。弱い者は強い者に食べられるのである。資本主義の社会を考えた時に、これとの相違点を見出せない。強い会社が弱い会社をつぶしていく。イトーヨーカドーやイオングループが町の小売店をつぶしていく。会社の中でも強い人(体力と脳力)が弱い人をつぶしていく。家庭の中でも強い人(男)が弱い人(女性、子ども)をつぶしていく。テレビでは「勝ち組」、「負け組み」などとそれらを正当化している。
私たちは人間の社会に人間として生きているのに、競争に勝たないと生きていけない。低賃金で働かされたり、仕事を奪われたりする。これだけ知性の発達した人間でありながら、動物と同じ社会を作るのが限界なのか・・・。そんなはずは無い。弱者も弱者という認識が無いほど、人間の可能性が開花し、喰う喰われる、勝ち負け、じゃない社会を作ることができるはずだ。神をつくり、仏を作った人類なのだから。