加藤進@永遠の旅行者
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【林純子先生】

厚岸町に住んでる時にエレクトーン(YAMAHAの登録商標)を習った先生。エレクトーンは小2から始めて、私以外は先生も生徒もみーんな女性で、いやだなー(今考えると天国のはずだが)って思いながら通っていた。小5の時にYMOと出会い、脳内革命が起こった。その時から林先生のところでお世話になった。弾きたいなって思う曲を自由にやらせてくれた。いろんなレコードも聞かせてくれた。高校時代は食事にも連れて行ってくれた。テーブルマナーはそこで学んだかも。高校2年生ころにはバンド活動にはまり、爆風スランプやその曲風のオリジナル曲に走ったが、耳コピできるのも、曲が書けるのも、パートごとの譜面が書けるのも、アレンジができるのも林先生のとこで勉強したからだと思っている。バンドにハマってから、エレクトーンは辞めたが、お互いの誕生日に電話し合うのは今年まで続いた。40年だな。今年の1月の先生の誕生日にも電話で話した。

あるとき、先生が、厚岸から出たいんだけどなーって呟いたので、函館に誘った。「いーよいーよ、引越し代は俺が持つから」って、ちょーしこいてみた(カッコつけてみたの北海道弁)。俺のアパートに住まわせて、家賃ももらった(笑)

が、金に目が眩んだ加藤進は高値でこのアパートを買いたいっていう東京の業者に簡単にアパートを売ってしまった。先生はいろいろ不満はあるようだったが、ずーっとそこに住み続けた。

先生は病気があって時々入院した。親族が近くにいないので、俺は入院の保証人になった。私が函館にいる時は私が病院への送迎をした。もう時効だと思うから言うが、私の秘書を先生の病院送迎に使った事もある。私は頻繁に函館を離れるので、たくさんの紙に保証人のサインと印鑑をしておいてあげた。

今日、スノーボードしてたら、知らない、だけど末尾が000のカッコいい電話番号から電話があった。出たら、病院のナースで、先生が危ないと言う。「たぶん、間に合わないな」って思いながら、一度帰宅し、スーツに着替えて(だって、加藤進だから!)病院に向かった。先生は霊安室と言われ、案内された。「そーか、もう先生は苦しみのない世界かぁ」と思いながら、霊安室に行ったら誰も居なかった。先生はクリスチャンなので、教会の人たちが全て手配してくれてるようだ。私は先生が通ってた教会に向かった。棺に納める式の途中だった。間に合った。参加した。ああ、俺は林先生のおかげで音楽を楽しんだなぁって思ったら、止めどなく涙が溢れた。先生はクリスチャンなので、その後の行き先は決まっている。だから、俺は心配していない。あっちで元気に、思う存分、うまいものを食べて欲しい。アーメン。

先生との写真を載せようと思ったが、探すの大変なのでやめた。

posted by かとうすすむ  日記  コメント (0)
加藤進(かとうすすむ)

加藤進

Susumu Kato

  • アトム不動産 代表

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