ひと飲みにしゅるからね
今夜の寝る前、息子Aとの会話
A:おっとー、牛乳飲みたい
私:もう遅い時間だからだめ。
A:どうしても飲みたいのー
私:ダメって言ったらダメ
A:もし、牛乳出してくれないと、おっとーをひと飲みにしゅるからね。
こんな可愛い息子にならひと飲みにされてもいいかなって思った。
たぶん『3びきのやぎのがらがらどん』っていう絵本の影響だと思われます。
社長、ちょっとお話があるんですが・・・
今日、「社長、ちょっとお話があるんですが・・・」と女子社員に言われ、話しやすい場所に移動して話を聴いた。
100年に1度の不景気といわれる昨今だし、セクハラかな・・・パワハラかな・・・辞めたいのかな・・・なんてドキドキしながら移動した。
「来月、結婚します」
だった。良かった良かった。本当に良かった。
当社にとっては100年に1度のチャンスの年であることを忘れていた。
今年の12月は当社社員は2組、結婚する。
結婚してもやめないでね。出産しても子育てしながらでも、働き続けてくださいね。よろしく!
大谷短大で講義する私
未成年が大半です。学生たちの目は輝いています。
彼らははっきりとした夢・目標を持っています。
だから彼らの前に立つ私は楽しい気分で過せます。
週に一度の貴重な時間です。
よく見ると、大学の先生らしい顔してるよな。
「ちがう」という価値
あなたはどちらが安心ですか?
A、自分がみんなと同じである。
B、自分がみんなと違う。
私は決定的に違うことを望みます。
違うということをかっこいいとすら思っています。
もしも、自分の好きな色が白だったときに、周りのみんなが白が好きと言えば、すぐに、本当は赤が好きだって言えてしまうのです。
違うっていうことを誇りに思える・・・そんな風に生きていきたい。
それから、成功する社長はみんなとは違うと思うのです。違うから成功するのです。成功=ちがう。
まだ誰も考えついていない、成功の鍵をひらめきたい・・・。
父の教え
加藤弘二は私の父だ。昨日、勤労感謝の日が彼の誕生日だった。父は三男の家(茨城県)で誕生日を迎えていた。
父の教えについて書こうと思う。たぶん、父自身が記憶に無いだろう事を書く。
父の教え1:商売はするな。
父の父(私の祖父)は函館魚市場で一久加藤商店という仲買だか中卸だかを業としていた。とても貧乏だったらしい。「貧乏は嫌だ、商売は嫌だ」と思って、父は大学を出て、中学教員となった。その父だからこそ、私には「商売はするな」と言い続けた。どうしてダメなのかと聞いた時に、「いいか、200円で仕入れたものをお友達に300円で売れるか?」という質問を投げられた。それで、私も「商売はできない」って思った。(ちびまるこくらい単純である!)
その私が事業を起こした。だから、仕入れの無い商売を立ち上げたのだった。今は仕入れもある。しかし、お客様からの入金が先で仕入れ代が後っていう商売をしている。
父の教え2:科学が進歩すると働く場が無くなる
私が小学校低学年の時だったと思う。1975年ころかな。まだバブルにもならないころ、父は未来を予測した。「いいか、資本主義には未来がないんだ。科学が進歩し、世の中がどんどん便利になっていく中で、人々の仕事がコンピューターや機械に奪われて、失業者が増えて、就職難になるんだ。」このことを図示しながら父が丁寧に教えてくれた。あれから30年・・・。父の偉大さを思うよ。来春の高卒の内定率が北海道で14%。全国の大卒の内定率で62.5%だ。どうして父は、少年加藤進にこんな難しい話をしたんだろう。でも、確実に私の胸に残っていて、函館でもっともっと雇用を増やしたいという心の原動力になっている。
私が幼少の頃、きれいな家(建物そのものは古い教員住宅だったが)で、きれいな服を着せ、美味しいものを食べさせていたのは母親だった。母も小学校教員であったから、4人の男の子を育てながらの生活は大変だったと思う。父は中学教員として他所(よそ)の子どもの世話ばっかりに追われていた。でも、私の人生に影響を残すために要所要所に登場していたのが父なんだな。
俺も父みたいに子育てに影響したいのだよ。だから、まだ小学校にも行っていない長男に「不動産王にならないか」などとアホな話をしてしまうのである。