母の愛
いやー、まいった。先日「愛のついての考察」で「親子の愛も」などと「ついで」に書いたのだが、今朝、Cメールにて母から連絡が来た。
立て続けに2本のメールだった。Cメールには文字数制限があるからだろう。母の許可(有料)を得て転載する。
「今朝、ブログ読み、母と息子は100自愛=20相愛と思った。」
「しかし、この正月は楽しみに楽しみ待っている。500自愛=10相愛でもいいから空腹で来て」
年末年始に24時間だけ浜中町に帰る計画がある。4人兄弟の中で、長男の私だけが、しかもたった1日、一晩泊まるだけなのだ。
本当に親不孝な子どもたちだ。わっはっはっはっはー。
親の愛は・・・うーん、そうだなー、これほど深いものは無いかもしれないな。父の愛と母の愛もまた異質なんだろうけどな。
今後も深めてみたい。
独身
今朝から独身だ。門限が無く、24時間を自分だけのために自由に使えるってすばらしい。私はお陰様で久しぶりの独身を楽しんでいる。
まず、夕方17時に出社して夜中でも会社に一人で入れるように総務から鍵をもらった。
18時、駅前のコールセンターに行って、12月25日号の『青いポスト』を壁に貼ってきた。函館温泉に行き、のんびり温泉につかり、夜10時再びコールセンターへ。本日はお休みのはずのKさん(取引先社員)がお仕事されていました。その後、家に帰って、PCをとり、会社に出社。
何と22:50である今でも働いている社員がいる。本当に申し訳ない。
私は多分24時までここで仕事をする。
そして午前1時にコールセンターに行って、夜間担当の社員と交流する。
家に帰るのは・・・帰らないかな。灯油代かかるし。
ま、そんな訳で、私は独身生活を楽しんでいる・・・
・・・ただ仕事してるだけじゃん。
そう、俺は仕事がしたかったんだ。
政府専用機かな
乗りたい。
愛についての考察
私の経験ではなく、一般論として書く。
愛というものは一人では成り立たない。必ず愛する側と愛される側の両者が存在することになる。
男女の愛も、夫婦の愛も、親子の愛も、社会的な愛もすべては愛する側と愛される側とが存在する。
しかし、愛にはなんともすれ違いが多いのだ。そのすれ違いのほとんどが、受け取る側の「愛が足りない」という思いだ。
愛する側は100%、いや120%の気持ちで愛を注いでいても、相手にとっては50%にも届かない。愛欠乏症となるのである。
この数日間、いろいろ考えてみたのだが、愛にはレートがあるように思う。為替レートだ。単位は「自愛(自分の愛の価値)」と「相愛(相手の愛の価値)」だ。
100自愛=40相愛
夫婦の場合、こんな感じだ。自分は100単位で愛しているのに40としか受け取られないので、その愛を評価できず、自分も愛せないという状況に陥っていく。
100自愛=100相愛
結婚してもいいかなって思う男女間の愛かな。お互いが愛を実感しあい、満たされている状態。
100自愛=1000相愛
カリスマな人(歌手、芸能人、有名人)が、ファンに対して個人的にささげた愛。
夫婦の場合、相愛を100まで引き上げるためには200自愛~250自愛くらいを注がなければならない。
それよりも為替レートは変動するように愛のレートも変動するのだ。レートを100自愛=100相愛に近づける方法が必要だ。
誰か、いいアイディアは無いか。俺はいろいろ考えたけど。ない。(笑)
年末の空港
羽田だ。すごく並んでる。家族連れも多い。